2017同期会まであと一週間
6月2日の夕刻、成田からのANAで新潟空港に降り立ったのは、同期会の常連、Mr.&Mrs Walker。カリフォルニアからの長旅もものかは、明日の練習にも参加するそうです。(もう一人のロスの方も来年こそは参加でしょうか?)
4年目を迎えたバンドは順調に月1,2回の練習をこなし、あとは同期生の参加を待つばかり。太田啓子さんや片山修君の働き掛けもあって、ついに35名の申込みがありました。100名は楽勝の会場はまだまだ余裕があります。当日急な参加でも構いませんから、是非おいでください。一年に一回しかないということは、健康で70歳までいるとしても、毎回参加してもあと6回しかないという貴重な同期会です。「幸運の女神は前髪しかない」そうですから、祭りは終わってからは「後の祭り」です。「怖がらず」にご参加を。
「萬代橋誕生祭」出場顛末記
バンマスの戸松君の年来の悲願が遂に実現しました。6月のmusic assemblyで燃え尽きているマネーダー君としては、いくら本業が夏休みと雖もbeyond my abilityでwillingly というわけにはなかなかいかない。まして、メンバーも揃わないという状況ではかなり無理するしかないという状況。オールラウンドプレーヤーの植木君、サックスの進境著しい佐藤君、歌姫太田さんの出場に前向きな皆さんの勢いで出場が7月下旬に決定。事前練習の会場を前回の柳都オレンジスタジオの予約をしたところ、普段の公共施設の20倍近くだったので、間際になってハードオフ近江店のスタジオに予約を変更して半分を節約できることとなった。そこは2時間が一応上限で、当日空いていれば延長もできるというシステムだった。駐車場も広く、搬入がとっても楽で好都合だった。19日の夕方に練習して、「では明日もよろしく」と、20日12時に行ってみると、先約がいて、「お客様の予約は取り消されています。」という話。確認してもらうと、二つしかない練習室毎の「伝票」を何度も繰りながら、「こちらの手違いで、昨日予約を取り消してある」という。こちらが「じゃあ1時からは空くの?」と聞いても、また伝票を虚しく繰るばかり。やっと返答があり、「1時には空くので、使用料は無料でお使いください」というオファー。当初の「12時から2時まで練習して、会場入り」という予定が狂い、焦ってしまった。
会場のメディアシップに着くと、通路が控室(?)で、ちょっと居場所がない。前の出場者は北九州のプロの女性歌手で、自分の曲のキャンペーンに来ていた。演奏後はCD販売。「こんなので本来の趣旨に反していないのか」と、主催の市当局の杜撰さに呆れた。20分押しで我々の演奏が始まったのだが、広場風なオープンスペースはどこに焦点を当てていいのか迷ってしまう。「応援に駆け付けた高木さんが心配そうに「サクラ」を務める。
曲は、The Sound of Music, California Dreaming, また逢う日まで、Sweet Memories、悲しくてやりきれない、想い出の渚、少年時代、夢の中へ。30分弱の持ち時間では、ある程度統一したカラーがあった方が良いと思う。ミキサーがしっかり調整してくれてしっかり歌は届いていたそうだ。サックスも太田さんの歌もとっても良かったそうだ。夕陽に照らされて演奏していたら、文字通り汗が噴き出て参った。もっとも頼りの植木君は、鳥屋野中の同期会で昨夜は午前様だったのか、宿酔のまま1日が終わったのではなかったのかな。
来年出るなら、できればフルメンバーで出た方が良いでしょう。もちろん私はマネージャーで(-_^;)
国立音楽大学県人演奏会を聴いて
8月5日午後1時、新潟市音楽文化会館で初々しいコンサートがありました。教え子の明訓高校の昨年のダンス部の部長が声楽科に入学して、イタリア歌曲を歌うというので、初めてコンサートにお邪魔しました。平日の午後では、多くの聴衆は望むべくもなく、ホールには50名ほどでしょうか。でも演奏は1年から4年までの若さみなぎる好演の連続でした。冷房に凍えて、休憩時間に外に出たら、同級生のYさん声を掛けられました。Concertoというサイトで知って聴きに来られたそうです。終演後、この前の同期会の感想をお聞きしたら、「同級生を誘ったら、『演奏がうるさくて話が出来なかったから、行かない』と言われた。一人一人の近況報告は良かったし、みんなが歌うのが一番良いんじゃない」と言っていただきました。来年の参考にさせていただきます。今週は鳥屋野中学の同期会や3年1組の同級会が行われます。
初めてのメールによる参加申し込みがありました。
昨年までは400通を越える案内状を発送しておりましたが、経費がかかるため、今年は150通になりました。それで、友人同士連絡を取り合って参加される方からメールで参加希望が寄せられました。皆さんも是非友達を誘っておいでください。会場には「若干」の余裕があります。(実は、相変わらず100席もあります。)
今明かされるあの真実!
「8組は内山君に全て任せていたから」と、片岡先生の口から繰り返し内山君の名前が出た。卒業写真の子豚から、あの農協帽着用疑惑に至るまで、大胆かつ周到な8組の禁断の活動が新関駅前で明かされた。もう全て時効だろうか。
あの頃は、森先生に誘われて、テニス三昧でした。空き時間はほとんどテニス。定年後も、テニスに明け暮れて、「期する」ところがあって、75歳で「引退」。山岳部OBとの付き合いで、鳥海山や鹿島槍への登山に行くことも80歳で「引退」。(詳細は直接先生に) 昨年の森先生の訃報にショックを受けて、「もう同期会は出るのを辞めよう」と決意された。
現在は老人会などで、結構忙しく、先生が不在時の奥さんのお話では「土日はほとんど予定が入っているようです。」とのこと。15年前に奥さんにお会いした時にも同じようにてきぱきと応対されて、電話口でも眉目秀麗なあの面立ちが思い出された。
同期のみなさんも片岡先生ご夫妻に会いに行きませんか。
今日もウォーカー家はピザパーティー
小須戸のお宅はまるでコミュニティハウス。毎日小須戸中学の同期会やら、町内会(?)の集まりやら、ビルご自慢のミーレは休む暇なし。彼のピザは絶品ですから、だれでも美樹子・ウォーカーさんにリクエストしてください。
ところで、強一先生は40年前と変わらず大変お元気で、また授業を受けてみたくなりました。お薦めの本はケイト・モートン「忘れられた花園」、サラ・ウォーターズも良いそうです。先生のお話は、とにかく書ききれない程の内容で、皆さんもぜひお見舞いに行ってみてはいかがでしょう。
先生の別れ際の一言は、「あともう1回くらいは、会えるでしょう」という意味深なものでした。
忙しかった3連休
今年は父の17回忌。せっかく福岡から里帰りした娘と大して話をする暇も無いくらい、いろいろありました。
19日 午前中は伊予部陽子さんに中学のアルバムをやっと返しに沼垂の公民館へ。 彼女は新潟少年合唱団というウィーン少年合唱団を目指すところの専属ピアニスト。相変わらず、小学校の頃と変わらない優しい雰囲気で旧交を温めてきました。なんと娘同士も高校の同期生。もっとも二人は同級になったことはないはず。 その後、旦那が55歳で亡くなった未亡人の方とコーヒーを飲みながら、「進路相談」。午後はバンド練習。花粉症の身には声が出ずに辛い。
20日 父の17回忌。なんと味方まで遠出。西堀の墓を叔父に乗っ取られての「都落ち」。
21日 往復はがきのために、郵便局を「往復」する破目に。(詳細はトップへ。) 娘をANAの福岡行に乗せるべく、空港へ。 遂に県民会館、斉藤和義来る! 席はなんと1列目。花粉症の後遺症に備え、耳栓をして後半に備える。「やさしくなりたい」で会場は大盛り上がり。アンコールでの「ずっと好きだった」も痺れました。やっぱり今年もこれをやらなきゃ(^-^)
明日は2月の月例練習日
千葉から美濃和君も駆けつけて、太田さんも漸く都合をつけて参加します。
そろそろ曲を決めようという時期になりました。
当時の懐かしい曲を中心にやります。
夢のカリフォルニア(キャス・ママはいないけど)
サウンドオブサイレンス
ヒアカムズザサン
できれば レイラ
(と言ったら、小川君が「無理、無理。イントロ当てクイズにすれば。」だって。)
青い影
ホテルカルフォルニア
その他、何かリクエストや自分でやりたい曲があれば教えてください。
参加申し込み第1号!
HPで同期会案内をしたところ、早速問い合わせがありました。海の向こうのミセス・ウォーカーこと徳永さんでした。ウォーカー夫妻はこの正月に故郷の小須戸の実家を建て直して、日本に別荘を作りました。来客は大歓迎。ビルの自慢のミーレで焼くピザが皆さんを待っています。